私が出した答え

 

 

昨日(2019/11/12)

自担が結婚を発表した

 

 

一瞬にしてTwitterのトレンド欄はこの報道に関する言葉で埋め尽くされ、テレビでは速報として取り扱われ、「信じられない」なんて言ってる余裕さえ与えられなかった。

 

 

 

ここから下に綴ることは私の頭の中を整理するために文字にして並べるものであってぐちゃぐちゃです、スイマセン。

※ライブのネタバレ等含む可能性があります

 

 

 

 

 

【1】私と嵐 

 

 

はっきりいって私が嵐に堕ちた瞬間はいつだって聞かれても自分でもわからない。

物心ついた時から(盛ってます)嵐の曲を聞いて、小2の時運動会で 風の向こうへ を踊らされて(強制)、嵐を "テレビの中の人" から "アイドル" として意識し始め、そしていつの間にか好きになってた。

 

 

ジャニーズなんて微塵の興味もなかったくせに堕ちた沼は深かった。

 

 

あの頃のただ純粋に嵐だけが好きで嵐だけを生きがいとして生きてた私は無敵で、これからの人生で嵐を超えるものはないって本気で思ってた。なんなら周りの他G担を態度には出さなくても心の中で若干バカにしてた気がする。「なんだかんだ言ったって結局嵐が1番すげぇんだぞ〜」って(サイテーだな)

自分が嵐以外のグループに堕ちることなんてないと思ってたしJrなんてもっとありえないと思ってた。

 

 

ただただ二宮くんが好きで結構本気で結婚したいとか考えてた(18歳差)

今となっては定期と化した文春砲もネットニュースもしっかりダメージ受けてその度に病んでた。

 

 

何度でもいう、

あの頃の私は本気で二宮くんに恋してた。

 

 

 

 

時は流れて 2018年12月25日

 

『ARASHI Anniversary Tour 5×20』@東京ドーム

 

 

まだ嵐が活動休止をするなんて知りもしない頭の中はお花畑状態の私がそのコンサートで抱いたものは「危ない」という感情だった。

 

 

今になっても全く理由はわからない。

 

 

座席はアリーナ花道から3つめくらいの席

肉眼ではっきりと嵐の顔が見えるこれ以上ない良席だった。

 

 

オープニングでメインステージ上から200万個ものスワロフスキーと共におりてきた嵐を見て「輝いてる......」って語彙力の欠片もない感想を口にしたのは明確に覚えてる()

 

 

そこから幸せな時間は3時間ほど続き、私は終始叫んでた。本当に幸せだった。

 

 

 

コンサートの終盤

5人が1人ずつ挨拶をしていき、嵐の20年を振り返る話、20年のその先の話、嵐は "5人で嵐" だという話を言葉は違うにせよ5人が5人とも話してくれた。

 

 

その後初めて耳にした 『5×20』

 

 

私と一緒に入った友達はボロボロと涙を流していた。

 

 

ただ私は一滴も涙が出なかった。感動しなかったわけじゃない。おめでとうやありがとうという気持ちがなかったわけじゃない。

なによりも自分に対する恐怖が大きかった。

 

 

(もし嵐がいなくなった時、私は何を生きがいとして生きていく?)

(もし嵐がいなくなった時、私はどうなる?)

 

 

5人の挨拶を聞いたときからひたすら怖くて怖くて仕方がなかった。活動休止のことなんて知らなかったのに嵐だってプロだからそんな素振りは一切見せていないはずなのに。

 

 

 

【2】私とジャニーズWEST

 

 

時系列は少し前後して私が嵐のライブに行く直前 2018年12月21日 ミュージックステーションスーパーライブの放送があった。

 

 

トップバッターを務めたキンプリのシンデレラガールを私もテレビの前でノリノリで歌ってた。なんなら「紫耀くんかっこよ〜」くらいほざいてた。

 

 

次に出てきたのはジャニーズWEST

失礼だけど私はプリンシパルの君へという曲も知らない、メンバーの名前も顔もわからないといった状態だったから携帯をいじりながら次に歌う嵐の出番を待ってた。

 

 

その時私の耳に入ってきたのはマイクを通した笑い声と「おいっ!」というツッコミの声だった。(ここだけ読んだらなんのこっちゃわからん)

 

 

予期せぬマイクトラブルに見舞われた末っ子小瀧望さんに向けられたいい意味でバカにしたような、でも聞いていて全く嫌な気のしない愛のこもってる笑い声を仮にもステージ上で、しかもパフォーマンス中にマイクを通して会場に電波に乗せて全国に届けてる姿を目の当たりにした。

 

 

嵐という道しか通ってこなかった私にとってそれは異次元レベルの衝撃がはしった出来事だった。

 

 

これが私とジャニーズWESTとの出会いではじまり。

 

 

この出会いからどうやってズブズブ重岡大毅という沼にハマったかはまた長くなるので割愛しますが、簡単に言えば嵐のライブで恐怖を感じた私が必死に「別に推しをつくろう」とした結果がジャニーズWESTのファンになったといったところ。

 

 

(不純な動機からのはじまりだけど今では本当に一人のアイドルとして重岡大毅さんが好きです)

 

 

 

【3】地獄を見た日

 

 

2019年1月27日

忘れもしない。

恐れていたことが現実となってしまった日。

 

 

この出来事については多くは語らないことにする。

ひたすらに辛かった。

それと同時に私は嵐が好きだと再認識した。

 

 

 

ジャニーズWESTなんかに気とられてるんだよ、嵐だけを見てろよ。

 

 

心の中で自分に喝を入れた。

 

 

でもそれ以降私は嵐のLIVE DVDを見れなくなった。

 

 

暇さえあれば見ていたDVD。

今まで全ての熱を注いできた嵐を見れなくなる日が来るなんて思ってもなかった。

 

 

 

そこからの私は人が変わったかのように口癖が "二宮くん" から "重岡くん" に変わった。

 

 

友達から

「ニノは降りたの?」

「嵐はもういいの?」

って聞かれることが苦痛で仕方なかった。

 

 

その度に私は

「二宮くんはもう殿堂入りだから!比べられないんだよね!」

そう言って自分を誤魔化していた。

 

 

自分の心が二宮くんから確実に離れていくのを感じながらも降りることでさえ怖くて1歩を踏み出せなかった。

 

 

 

 

それからいろいろあって(めちゃくちゃ省略)

私は関西ジャニーズ Jrの高橋恭平くんにも堕ちた。なんなら今ここの熱が1番高い。

 

 

 

 

【4】再出発をしたと思った日

 

 

2019年11月3日

 

嵐のYouTube生配信での怒涛の発表ラッシュをリアルタイムで見ていて久しぶりにワクワクした。鳥肌がたった。

この人達はさも当たり前かのような顔をしてすげぇ事言ってんぞ.......って。放心状態になった。

 

 

インスタ、TwitterYouTube、見ていて本当に嵐が近くに来たと思った。

 

特にインスタのストーリー。ジャニーズ以外の道を通ってない私にとってSNSに自担がいるだけでも夢のような話で、それに加えて自撮りで動画まであげてくれるなんて (これはオタクがつくった妄想ストーリーか?) って疑ってかかったくらい、ほぼ離れかかってた嵐が一気に私に近づいてきた。

 

 

 

やっぱり離れられないのか、、

 

 

嬉しい反面戸惑っている自分もいた。

 

 

 

【5】決断の日

 

そして昨日、冒頭にも書いた通り二宮くんが結婚を発表した。

 

辛くて苦しくて仕方がない日々の生活を充実させてくれるジャニーズというアイドルに出会わせてくれた張本人。

 

私の全ての始まりの人が 

一人の男としてケジメと決断をし

た結果だった。

 

今度こそ涙が出ると思った。

悲しくて潰れちゃうぐらいになると思ってた。

 

 

現実は1粒の涙も出ず、怒りが沸いてくるだけだった。

その時に私はようやく振り切ることが出来たのかもしれない。

 

 

 

私は二宮担を降りようと思う。

 

 

 

嵐を見ずに今の日本を生きることなんてほぼ不可能に等しいからそんなことは望まない。

ただ一人のお茶の間ファンとしてこれからの嵐を見守っていこうと。

そんなあまっちょろい決断じゃダメだという意見があるかもしれない。けれどこの決断は私が約一年かけてようやく出せた答えだから。

 

 

幸い私にはまだあと1回、嵐に二宮くんに会えるチャンスがある。

12月24日

今までの感謝を全ての気持ちを二宮くんに伝えて来ようと思う。

その日を越えた時私の中で何か一線を引ける気がするから。

 

 

 

今でも嵐のことは大好きです。

私の原点です。

たくさんの夢を見せてくれてありがとう。

たくさんの希望を与えてくれてありがとう。

たくさんの幸せを共有してくれてありがとう。

私は嵐ファンだったということが誇りです。

いままでとは違うかたちでこれからの5人の姿を見守らせてください。

 

 

                                                         2019.11.13.